愛知工科大学 工学部

スポーツしていますか?

情報メディア学科 准教授 加藤高明/KATO Komei

加藤研究室サイト


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みなさんこんにちは。デジタルコンテンツの制作とその応用に関連する授業を担当しています、情報メディア学科の加藤高明です。子供にも「メタボリック・シンドローム」の危険性がささやかれる昨今、私の趣味のひとつであるスポーツの、その遍歴(?)を、年表形式でご紹介します。

加藤のスポーツ年表

1968年頃


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確か小学校3年生の時だったと思います。お正月に連れて行ってもらったアイススケートが面白くて、近所のスケートセンターの会員になり、毎週日曜日、朝から晩まで滑っていました。ついこの間まで、23cmのホッケーのスケートシューズが実家にありました。カビが生えて到底使える状態ではありませんでしたが・・・。
 スケートセンターには、ちんちん電車(路面電車)で通っていました。その昔、名古屋にも市電と呼ばれるちんちん電車が走っていたんです。

1970~71年


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5年生の担任の先生が、サッカー部の顧問ということもあり、サッカー部に入部しました。歩いて30分もかかる小学校なのに、毎日朝練習がありました。授業中、問題が解けず頭をかくと、白いものがパラパラ落ちてきます。フケじゃありません。朝練習でヘディングをするので、頭が砂だらけになるんです。名古屋市大会でベスト8まで行ったと記憶しています。
 ポジションはセンターフォワードで、よく試合中「突っ込めー。つっこうめー(私の名前は「高明」と書いて「こうめい」と読みます)」と声をかけられました。ちなみに1年後輩は、名古屋市大会で優勝しました。

1972~74年


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中学校にはサッカー部がなく、バレーボール部と迷いましたが、バスケ部に入部しました。体育館が狭く、バレー部と交代で使用のため、土のグランドでのドリブル練習は大変でした。バスケットボールのおかげか、背伸び体操(背を伸ばすための体操法で、雑誌の広告によく出ていた)のおかげか、結構背が伸びました。
 顧問の先生が忙しく、あまり練習に来られないため、自分達だけでの練習では大きな上達は期待できませんでした。3回戦敗退の実力だったと思います。

1975~77年


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中学に引き続き、高校でもバスケ部に入部。中学とは違い、練習は、足に鉛を付け、古タイヤをつないだひもを腰に縛りダッシュするなど、結構ハードで、特に夏休みの合宿は地獄でした。途中で逃げ出す者もいました。今のように練習中に水分を取るのは御法度で、どうしても水が飲みたくて、捻挫の足を冷やすための水を、顔を洗うふりをして飲んだことも何度か。捻挫の足を入れた水なので、捻挫用薬用クリームの味(ハッカみたいなスースーする、あれ)がしたこともありました。
2年生の時は、県大会出場の常連になりましが、自分たちが3年生になった時は、平均身長も低く、戦力は低下。新人戦で、ある程度の成績をあげないと「坊主刈り」という伝統に従い、初めて「坊主刈り」というものを経験しました。練習中空中で先輩にぶつかり転倒、初めて骨折(左手首)も経験しました。その夜痛くて眠れなかったこと、今でも覚えています。
 当時身長170cm程でしたが、ジャンプしてバスケットのリングにタッチできたのは、ちょっと自慢でした。今は垂直跳び30cmがいいとこでしょうか。正確に測るのを恐れています。

1979~84年頃


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大学時代の前半は、特にサークルなどにも所属せず、遊びとアルバイトに精を出していました。3年生の時、アルバイト先の先輩に誘われ、サーフィンに挑戦。週に1度は、片道3時間半かけたドライブで、海に出かけていました。夜中に出発して明け方着。少し寝て、昼まで波乗りして夕方下宿着。今では考えられないほどの体力があったんです。真冬でも海に入り、年がら年中真っ黒な顔してました。地元の海の家でアルバイトした時、そこのおばあちゃんから、「あの人、日本の人じゃないよね。黒すぎるもん。」といわれてしまいました。そしてなぜか「沖縄君」と呼ばれていました。

1990~92年


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就職で東京に行き、2、3度湘南の海にサーフィンに行きましたが、それっきり休止となりました。その後会社の関係のスポーツジムに通ったりはしていましたが、ある日外国のきれいな海で魚を見て感動。ダイビングのライセンス取得を決意しました。講習の受講と海での実習を経てライセンス取得と共に、機材一式も勢いで購入。真冬でも水の入ってこないドライスーツも買っちゃいました。現在電気屋さんで並んでいる大型薄型テレビが買えるくらいの費用がかかりました。
海ガメが寄ってきたり、サメやウツボがいたり、海に沈んだ飛行機や船の中に入ったりと、毎回新しい感動があります。マンタに会いたくて沖縄にも行きましたが、マンタへの遭遇は実現しませんでした。
ダイビングは夫婦で参加してましたが、初めての子供が生まれるの機に活動停止。機材もオーバーホールが必要になったり、場所をとって邪魔なので、ナゴヤドームのフリーマケットで、男女2セットを、5,000円で売却してしまいました。

1996~2005年


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子供2人が幼稚園になるまでは、しばらくスポーツ活動は停止状態でしたが、子供の雪遊びのため15年ぶりにスキー場へ。37歳でスノーボードを始めました。実は大学時代、カナダに貧乏旅行に行った時、突然スキーデビューしました。ジーパンで、グローブやゴーグル無し、おまけに吹雪で散々でした。そのためスキーには良い印象がなく、その後ウインタースポーツには縁がありませんでした。この年令でスキースクールというのも抵抗があったので、スノボーにチャレンジしました。体重移動など多少サーフィンに似ているので、できそうかなという感じで、数年間は子供を連れて結構頻繁にスキー場に通いました。大きな声では言えませんが、骨折もしました。

2007年


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子供の成長が早く、スキーウェアやブーツがすぐ使えなくなってしまったり、雪不足などで、ここ2シーズンほどスノースポーツもご無沙汰です。メタボリックシンドロームが気になる今日この頃、あのCampへの入隊を計画。これまでサウナスーツを着て、ステッパー(室内用足踏みマシン)を踏んでいましたが、よりパワーアップと引き締めのため、隊長に7日間しごいてもらおうと思っています。Camp入隊のようすは、下記「大学のトリセツブログ」でお知らせしています。

Camp入隊の様子
(加藤研究室 毎日更新したいなぁ・・・と思っているブログ)


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