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回り灯籠の復元

電子制御・ロボット工学科(前所属) 相木 國男/AIKI Kunio (名誉教授)

回り灯籠の復元

平成19年4月、ロボットシステム工学科が誕生した。
日本のロボットの原点は「からくり」にある。土蔵の中に、荒れ果てた残骸があったことを思い出した。子供の頃、「回り灯籠」のものだと聞いた覚えがある。「よし、復元してみよう」と思い立った。

それらしきものが暗闇の中で埃をかむって放置されていた。源氏框(かまち)ひな壇やそのほかの部材と入れ混じっており、何のものか判別が難しい。

試行錯誤するうち、本体の館、風車、影絵の原紙、広間背景画、袖行燈(あんどん) などと分かってきた。
本体の館は二階建てとなっており、二階の障子に影絵が映る仕組みのようだ。仮組すると、写真のようになった。しかし、欠品や欠損も多く、全体像がなかなか描けない。
風車は、12枚の紙製の羽根からなり、羽根の芯と心棒は竹でできていた。心棒の下端には、針を取り付けた痕跡があった。回転の摩擦を少なくする工夫だ。羽根と針を修復した。羽根には、動かした後の煤の痕跡が見られる。

欠損はあるが、大切な影絵の原紙が保存されていたのは幸運だった。11匹の着物装束の狐の切り抜きが、薄い竹板に並んで貼ってあった。「狐の嫁入り行列」だと思った。竹板には細い針金がついていた。竹板をリング状にして、つり下げたのであろう。お湯に浸して原紙を取り外し、障子紙で裏打ちしてから切り抜いて竹板に貼り戻した。
この過程で、原紙が版画で作られていることが分かった。

一階部分に設置することとなった湾曲した背景画は、当初、何に使われたか、なぜ湾曲しているかも分からなかった。ここには、二つの工夫がなされてることに後で気付いた。背景画を暗闇から、明るい屋外に持ち出したところ、左右三台ずつ並んだ行燈が光を放った。透かしとなっていたのである。

もう一つ、有力な情報を投げかけてくれた。裏面を見ると、当家の古紙が使用されていた。
「北尾(村)」、先代の「(相木)茂左右衛門」、「年内出入帳」、「安政五年(1858)」、「文久四年(1864)」、「東境村」、「永源寺」・・などの文字が判読できる。製作の工程も分かった。背景画を描く。竹と木ででき、針金で弓状に湾曲させた枠これを貼る。古紙で裏張りして固定する。透かしとなる行燈部を切り抜く。ここに裏側より薄い和紙を貼る。この湾曲した背景画は、自作されたものに違いない。背景画の筆遣いを見ると、自分で描いたとも受け取れる。湾曲した広間の画を描くのはたやすいことではない。直線部を曲線として描かねばならない。右手の襖にはすすきの原、左手は竹林、奥には縁側があってその向こうは飛び石を配した庭が描かれている。

回り灯籠と言えば、今ではお盆に使われることが多い。両袖に配置したと思われる、一対の行燈が出てきた。「奉献」「織女星」「牽牛星」とある。この回り灯籠は、七夕の行事に使われた。この古紙を、湯の中ですくい取って、和紙に貼り復元した。

復元した館の大きさは、幅:73cm、奥行き:70cm、高さ:75cmであった。裏面は、灯を入れるため、二階は障子の扉、一階は取り外せる障子となっている。灯は7箇所に置けばよいようだ。当時は菜種油の灯明が使われたはずだ。その部品は見あたらず、蝋燭で代用することとした。灯を点した。ちょっとした気流の状態で、なかなか安定に回転しない。回転が止まると、風車の羽根が焦げ出した。危ない!燃えやすいものばかりだ。次第に、ポイントが分かってきた。昔の人はそれを知っていたはずだ。

我々は、めまぐるしく変化する動画の世界に浸っている。緩やかに流れる狐の行列の影絵は、実に感動的だった。焔の揺らぎも表情を豊かにしている。 正面から観ると、大広間の背景には奥行きが感じられる。背景画を湾曲させた効果だ。また、影絵の中心を、わざと左に偏らせている。行列が接近して来る演出だ。

修復はまだ完了していない。疑問や課題を残している。
いつの時代に、何の目的で使われたのであろうか?
茂左衛門(1817-1883)が一人娘のイク(1859-1945)に贈ったか、婿の蒼平(1858-1921)が茶会などに使ったのか、村の行事に使われたのか、想像するしかない。七夕で有名な安城の周辺地域では、昭和初期まで「組み上げ灯籠」(額(がく)とも言い、一種のジオラマ)を飾る風習があり、七夕は重要な年中行事であったようだ。

この回り灯籠の仕上がりは、素人くささが見て取れ、自作したことも考えられる。影絵の原紙が版画で出来ていることから、キットを購入したとも想定できる。明治初期には、はやくも通販の制度もあったようだ。このように考えると、同類品が必ず他にあったはずだ。幾つかの博物館、民俗資料館などに問い合わせたが、有力な情報はあまりない。ただ一つ、大阪中之島図書館の森田様から戴いた資料の中に、原紙を印刷した版木の記事があった。ここには9匹の狐が彫られており、「きつねのまわりとうろふ大名行列」寛政12年(1800)とあった。「嫁入り」ではなく「大名」となっている。
手前、1階、2階のベランダ部には、装飾を取り付けたと思われる穴が2個、1個、4個空いているが装飾は見つからなかった。広間にも装飾が置かれていたかもしれない。まだまだ、謎に包まれている。
何らかの資料か類似品がきっとあるはずだ。これを見つけて完全復元をめざしたい。

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